日本との関係

■奈良時代(遣唐使の時代)
ベトナムと日本の関係は旧く遣唐使の時代、西暦734年まで遡ります。遣唐使判官だった平群広成が帰国の途中、船が難破して今のフエ付近にて拘留されたのちに中国経由で帰国しました。そして735年には、こちらは遣唐使であった藤原清河や阿倍仲麻呂(百人一首でも有名)が帰国の途中に漂流しベトナム北部の都市ヴィン(当時は唐の領土)に漂着した。この漂着が縁で阿倍仲麻呂は761年から767年までの6年間、鎮南都護・安南節度使(正三品)としてハノイの安南都護府に在任した。在任中は安南節度使を授けられ、最後は潞州大都督(従二品)を贈られた。在任期間を終えた阿倍仲麻呂は高齢ということもあって日本に帰らず生涯を終えた。

■朱印船時代
16世紀後半から17世紀初頭にかけての朱印船貿易の時代になってからはベトナムと日本との間には交易が生まれました。しかもかなり盛んに行われていたようで、証拠として中部にあるホイアンには日本人町が形成され、百人以上の日本人商人が住処にしていたそうです。この時の日本の輸出品は銀や青銅、銅などで、ベトナムからの輸入品は砂糖や香辛料、絹、白檀(びゃくだん)など。日本が鎖国を始めた17世紀中頃から後半にかけては、現地の日本人とオランダ人商人を介して交易は続けらたようです。

■現代
日本はベトナムにとって最大のODA拠出国となっており、ホーチミンにある空港 タンソンニャット空港、東南アジア最長 中部にあるハイバントンネルなどの基幹となるインフラ整備を支援しています。この基幹インフラを行った空港や橋、道路などには決まって誰からも見える場所にベトナムと日本の国旗をあしらった記念碑が建てられています。そのおかげでベトナム国民の多くが日本のODAによる事業だということを知っています。この点は、中国や韓国と大きく違う点で友好的にみられています。
日系ブランドはベトナムではトップブランドとみられており、値段が高くても人気があります。特にホンダは、バイクのことをホンダと呼んでいたこともあるくらい、今もなお絶大な信頼をされています。他にも日本品質は信頼されており、例えそれがベトナム製であったとしても、日本の審査基準を通り出荷され販売されただけでも価値があるようです(代表例としてユニクロがあげられる)。

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